婚活、パートナーシップ、自分であること 

先日、「婚活」で疲れ果てたり、自信をなくす人が増えているというような記事が新聞に載っていました。
「なぜ結婚したいか」とか、「どんな結婚をしたいか」とか、お一人お一人の背景はそれぞれだと思うのですが、
何となく全体的に
「婚活という言葉を使ってしまうと、何だか「異性」という茫漠としたかたまりのようなものに向かっていく…、複数の異性に気に入られなければいけないような気がしてくるようなところがあるのではないかと私は感じるのですが、「基本的に、結婚相手って自分に合った人が一人いればいい」というのを忘れないでいるというのは大事なんじゃないかと思います。
究極的に言ってしまえば、例えば出会う異性が100人いたとして、その内の99人が自分と合わなくても、たった一人、自分にとって相性がいいと感じられる人がいればすごく幸せな結婚ができるわけです。
でも、何となく婚活って言うと、「男の人はこういうのが好き」「女性はこういう人がいや」とか、
そういう一般論の好みに自分を合わせなきゃいけない、みたいな気持ちになってどんどん疲れていくパターンもある気がします。

例えば、「男性は(女性は)明るい女性(男性)を好む」という記事か何かを見たとします。
そのときに「自分はそうでもないから、どちらかというと口下手だから、人と会うときには頑張ってもっともっとたくさん話さなければ、笑顔ももっともっと付け足さなければ、もっと変わらなければ」と思ったりします。
でも実際には「静かな人といると落ち着く」という人もたくさんいるのです。
「~という異性が良い」というのは、実は各個人の傾向や好みであって、一般論や何かに合わせて (社交のちょっとした気遣いのようなものは、MUSTではありませんし、逆にあまりにもそういったものにこだわり過ぎて固くなってしまうようならば、いつでも100%を目指さなくても、できない場面ではできないと割り切ってしまったくらいの方がかえって楽なときもあると思いますし、そうしていると自然に心からできるときがくるかもしれません) そういうものに振り回されて、もっと深い本質的なところまで自分を変えようとする必要はないと思うのです。
(もっとも人間は色々な側面があると思うので、自分を「~という人だ」と決めなくてもいいと思うのですが。。おしゃべりではないけれど心を割った人の前ではよく話せる、という人もいるので一概にタイプというのは決められないと思います)

それに、もしかしたら良い出会いがないのはここが原因かも…、と自分ではすごく気にしているところが、人によっては実はあまり気にならない、というのもよくあると思います。
「もう少しだけ痩せたら…。」と思っている人がいたとしても、「ぽっちゃりしているくらいがいい」とか「特に気にならない」という人もいると思います。
何となく、「自分はここがだめだ。だめだ」と思っているところが、思い込み(昔誰かに言われたり、たまたま耳にした刷り込み)だったり、「もしかしたら自分はだめかもしれない」という自信のなさの現れの一つとして特に気になっている可能性もあります。

上記に挙げたような意味においても、(もちろん嬉しくなるような自分らしい向上というものは、あっていいと思うのですが)あまりにもそれが自分にとって苦しくなるような不自然なことをしないこと。自分でないものになろうとしないこと。自分らしくいるのが一番だと思います。
では「何を持って自分らしいというか」ですが、これが自分だと思っても変わっていく部分も、また変わらないと感じる部分もあると思いますが、「自分は自分であっていい」という感覚が重要だと思うのです。
それは、何ができるとかできないとかで減ったり増えたりするものでもないと思いますし、いわゆる成功感とも違うと思います。
自己肯定感は、一見、それは人から与えられるようにも見えますが (幼少期に「あなたはあなたでいい」というメッセージを言葉でなくても周囲から受け取った人は比較的自分でもそう思うことはたやすいかもしれませんが) でも、ただただ人からそれを求めようとするだけだと、得られたときには嬉しいと感じても、相手の人の気持ちが変わってしまったり、受け取れないときには苦しくなったりします。
またそれを何かの成功に重ねようとすると、それを得るために躍起になると思いますし、失ったり得られないときには喪失感があるでしょう。
結局のところはただすごくシンプルに (それはしょうがないという開き直りの感覚とも微妙に違って、本当にただシンプルに) 「自分は自分であっていい」と自分がそう思えるかどうかだと思います。
そうは言っても、色々起きる人生の全ての瞬間にそう思えることはないかもしれないし、ときにそれを見失ってしまいそうなときもあるかもしれませんが、でも生きている限りその種はいつでも自分の中にあるし、その感覚を育むのに遅いということはないと思います。

そして、自分でないものの振りをしなければ、逆に自分らしいものとどんどん引き合っていくと思いますし、マイナス感を埋めるための恋愛や結婚ではなく、プラスアルファの関係を築けるようになると思います。


また、自分のことを「自分は自分であっていい」をすると、その逆は「相手の人は相手の人であっていい」です。
互いがこれを前提に付き合えるとその関係はかなり成熟したものになると思うのですが、もしも自分の理想の相手を「どの瞬間も自分のすることや考えを理解してくれて、全てにうなずいてくれて、何でも自分の思った通りにしてくれる人」としてしまうと、それは小さな赤ちゃんや子供が泣いて親に求めるようなもので、関係性の中で常に常に恋人や他者にどうしてもそれを求めないと気が済まないという気持ちが出てきてしまうときは、往々にして自分自身のストレスが高くなっていくと思います。

そのような辛さがあるときには、自分の中にそういった充たされていない子供の部分がないか、もしくは他の思い込みや不安、ストレスなどがないか、セラピーなどで見ていったりして、自分を楽にすることもできると思います。
(日常的な他者との関わり合いの中で、サポートし合うこともできると思いますが、基本的に、自分自身がどんな自分からも最も目を離さないでいられる人間です)

もちろん「相手の人は相手の人でいい」といっても相手の人が自分に虐待のようなことをしてくる場合、自分の気持ちを伝えたり、お互いがお互いであるための適切な距離を保ったりする必要があると思いますが、パートナーシップというものは、互いに未知なところもある人間同士が一緒にいるものであって、あまりにも自分を相手の望む型に当てはめようとしすぎたり、相手を自分の望む型に当てはめようとすると苦しくなっていくでしょう。

「自分は自分であっていい+相手は相手であっていい」という思いがいつどのように育っていくのかは、人によってそれぞれかもしれませんし、また経験の積み重ねによって増えていく面もあるかもしれませんが、そう思えるほどに、人は真の意味で「自由」に、また精神的に「自立」していくのではないかと思います。
そしてそういった基盤に支えられて生まれるのは、単に孤独を埋めるためだけのふれあいではなく、互いのユニークネスを掛け合わせるような融合だと思います。

また、お互いがお互いらしくいて居心地がいいというのは、いわゆる「相性がいい」と言えると思いますが、関係性の中で、どうしても気になったり苦しくなってしまうことは我慢したりするのではなく、コミュニケーションによって改善したり調整できることもあると思います。
お互い全く別の意見を持っている場合でも、話すことによって自分の推測外 (自分が相手だったらこれをするにはこういう理由があるだろうという憶測以外) の相手の感覚に触れる事もできますし、またそうすることによって自分のものの見方が広がることもあるかもしれません。
特に一緒に生活することは、それぞれ異なる環境で育った背景を持っているので、違う文化が折り合ったり、共に新しいやり方を見い出していくような側面があると思います。

お互いどの位の深さの関係を望むかが一致するか、から始まって、(特に長期的なパートナーシップを望む場合)互いに長く一緒にいたいと思えるか、何かあったときに本気で一緒に考えてみようと共に思えるか、またその土台としての信頼関係を築けるか、これから先にどんな未来を創って生きたいかのビジョンが似ているか、そこら辺は結構大切なポイントだと思います。

例えばたくさんの異性がいるときに、一見の容姿が似ていたり、職業(今やっていること)が似ていたり、年齢が同じだったとしてもその後、その人がどんな道を歩んでいくかは学生のときを見ていればわかるように、人の道はどんどん別れていくものです。
現在の容姿や、今いる状況だけではとても判断できない部分があると思います。

そしてもちろんそれは自分についても言えることです。
更に、パートナーシップにおいても、人生の中で、いつどのような人と引き合っていくかはそれぞれの人生によって全く異なります。
何歳で初デートをして、何歳で別れて、何歳で再び別の人と出会って、何歳でもしかすると一生を共にする人と出会って…等々、というのは、それぞれのタイミングで起ります。恋愛経験も早いほうがいいとか、数が少ないほうがいいとか多いほうがいいとか、比べられるものではなく、一概に傍からではわからないそれぞれのニーズに応じて起きていくものだと思います。
統計的なもの、マジョリティーに沿おうとしても自分が本当に満足する感覚を得られるとは限りません。
メディアは勝手に色々煽り立てますが、やはり、幸せは「自分らしくいる」から始まるように思います。







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