インターネットは7割位…? 


このトピックはずっと書いてみたいと思っていたのですが

今回はインターネットについてのお話をしたいと思います。


私もこのようにブログをときどき書いていますが

個人的に、「インターネットから得られる情報は、7割位かなぁ」

という思いがここ数年ずっとあります。

ネットの情報の中には、もちろん素晴らしいものもあるし、役に立つものもある。

(私もこのように発信していますし、何かお役に立てることがあれば嬉しいのですが  ^-^ )

でも忘れないでいたいのは

インターネットの情報は誰かがどこかの時点で選んだものだということ。

それを発信する人の取捨選択(何をどこまで表現するか、しないか)の自由がある中

その上で現れているものだということです。

ですので、誰かがどこかの時点で何かについて「これはこういうものです」と確信を持って載せていたとしても

「それを見ている自分:実際のその対象」という図式は、実のところまだ成り立っておらず

(その情報に行き当たった、引き合ったという点においては何かがあるかもしれませんが)

直接それに触れたときに自分がどう感じるかは、わからない面があると思うのです。

(宣伝されている商品のイメージと、実際に自分がそれを手にしたときの感覚が違うことがあるように)


もちろん本質が浮き彫りになっているような表現や情報もあると思いますし

また表層の情報を飛び越えて、こちらがそこにあるトーンのようなものに呼応したり

そういったものに触れてはっきりする自分の思いというものもあるかと思いますが

そこにある全ての情報を完全に

最初から自分にとっても絶対的にそういうものであると決めてしまったり

理解したと思うのはもったいないかもしれないと思うのです。

(もちろん想像以上に良かったりする可能性もあるとは思いますが☆)



だからといって「常に全てを疑おう!」と言いたいわけではありませんが

「もしかすると、それが全てとは限らないという可能性もある」という視点と自分の感覚を大事にすると

情報を受け取るときの幅が更に広がるかもしれないと思います。


特にそれが特定の人に関する情報の場合や、ソーシャルネットワークなどでは

「この人はこんなことを思っていたのか、こんな面もあったのか☆」

というような新たな魅力の発見や

遠くにいる人とつながったりする喜びもあるかと思いますが

「相手の人にはネットには出ていない面があるのも自然かもしれない…」と思っていると

(例えば誰かが常に常に自分のことを発信し続けていて
「こんなことがありました。こう思いました」と日々書いていたとしても
そこにはない出来事や思いがあったりする可能性もあると思いますし)

その人のことをすごく知っているつもりで会ったときに

「あれ、思っていた人と違うじゃん」

ひいては「騙された!」

みたいなことには、あまりならないのではないかと思います。

また、人はどんどん変化していく側面も持っていると思います。

(未知の部分もあることを前提にしていると、相手の人の知らない面に対しての「尊重」も生まれると思います)


と、多分、私も直接お会いしたときにはネットとのギャップは多少あるかもしれないと思います。

恐らく文章と直接お話するときでは感じも少し違うと思いますし

今の時点で、HPには音声ファイルも載せていますが

例えばこの文章を今読んで下さっている方と1:1で顔を合わせたときに起こる化学反応は

ネットを通して起こるものとまた違う可能性もあると思います。

そして生身でお会いしたとしても

セミナーやカウンセリング、プライベートではそれぞれまた違った交流があると思います。

(※プライベートでは基本的にカウンセリングを行いません(^^))




今の世界には(&特にインターネットの世界には)たくさんの「言葉」が溢れていますが

今はほとんどの人が作文の授業を受けた時代。

皆が色々なものを言葉でまとめることに結構慣れていると思います。

ちょっときつい言い方をしてしまうとこぎれいに。

でも、あまりにそういった「型」を追い過ぎると

大元からずれていく可能性だってあるかもしれない、なんて思ったりもします。

(同じ言葉でもその深みや、それを発する意図はときによって違うこともありますし…)


私は言葉が好きだけれど

それでも言葉が全てではない。

言葉はとても便利だけれど

言葉によって救われることもあるけれど

言葉は何かを説明したりするのにとても役立つツールだけれど

それでも言葉は全てではない。

言葉はそれそのものではない。

言葉を使いこなすことができる人は頭がよかったり

理解力があるように見えたり

「上手にできる人」に見えることもあるけれど

「言葉を使いこなすことが上手」であっても、言葉がその人とイコールとは限らない。

(イコールではなくても人の役に立つこともたくさんあると思いますし
 &私自身も完全にできていると言いたいわけではありませんが…)


言葉というものに触れれば触れるほど

大切に思えば思うほど

私たちには、言葉だけではなく、別の理解の仕方もある。

別の表現もある。

そういうことも忘れないでいたいと思います。



という感じで(^^)

インターネット(その他の情報もですが)との付き合い方は本当に「自分次第」だと思います。

そしてまた、発信する側は

自分が発したことの全てが、自分の思うように解釈されて頷いてもらえるとは必ずしも限らない

という前提の元に、何かを発信するのもポイントかなと思います。

特に自分の言葉が「相手の人に自分が思うようにわかってもらえるはずだ・当然だ」という過度な期待は「どうせわかってもらえない」という逆の期待と同じように、ときに純粋なコミュニケーションの妨げになることもあるかと思います。
(※ここら辺のストレスが多くて辛いという方には、境界線のワークショップを開催しておりますのでお勧めします)


このことはインターネットであってもなくてもきっと同じで

更に、そもそも私たちが個として存在する限り、果たして完全に全ての表現が一致し続ける人はいるのだろうか…?という思いを巡らすと

いつでもどこでも全てが一致することを他者に求め続けると不自然になってくる気もします…。

(私は20代の前半位までは全ての人に共通するものや答えをもっと求めていましたが、全てがつながっていると改めて感じる今は、そのときどきの個々の本質的なニーズに気持ちが向くことが多いようにも感じます。ですのでカウンセリングも行っていますし、また、個も掘り下げていくと普遍的なものにつながると感じています)

ですので、私のブログや発言も(セッションも)それを目・耳にして下さる方に1から10まで頷いて頂かなくても構いませんし (^-^)☆
(そもそも、私に盲目的に付いてきて下さることを目的としてはいないのです! ↓)

様々な情報が混じり合う中、それぞれがご自分が深いところで感じるものを大事になさってご自身の道を進まれるといいと思います。

そして私も包括的にそんなお手伝いができればと思っています。

カウンセリングはブルーミングツリーより承っております☆


(2014年10月、記事一部削除)







スポンサーサイト