成長するということ…大人の自分を育む 


皆さんは子供のときに、何か怖かったものはありませんでしたか?

「昔はあれが怖かったなんて、今思うとおかしいなぁ」とか

「あそこまで心配しなくてもよかったなぁ」なんて思うこと…。


私はその一つに「エスカレーター」があります。

まだ幼い頃、母とお店のエスカレーターに乗ると

「小さなお子様をお連れのお客様は、お手をつないでお乗り下さい」

というアナウンスが流れていて

それを聞いたら何だかどきどきしてしまって

母の手を握りながら

「大人になったら一人で乗らなければならないの?」

と尋ねた記憶があります。


たしかそのとき母は

「大人になったらできるわよ」

と答えてくれたと思うのですが

その言葉を聞いても私は

「大人になっても私は一人で乗れないかもしれない。乗れなかったらどうしよう…。

  …っていうか、私は皆と同じようにちゃんと大人になれるんだろうか…。」

なんてぐるぐる考えて、ますますブルーになっていました。笑)


もしかすると、そんな思いをもう少しだけ言葉にして伝えることができていたら

母の方もまた違う対応をしてくれたのかもしれませんが

小さな私は一人で悶々としていました。

子供の私は、子供が故に

「大人になる」ということがどういうことかよく理解できなかったんですね…。笑)


そして今、大人になった私は

エスカレーターに乗ると、そんな小さなときの自分を思い出したりするのですが

その度に

できないことができるようになる感覚

わからないことがわかるようになる感覚

成長するってそういうものを知ることでもあるんだなぁと感じています。


何かができないと思っている目線では、どうしても

できるという感覚はわからない。


でも、そういう自分がいたとしても

「果たしてできるようになるんだろうか?」という心配があったとしても

「人は変わる。

その可能性がある。

万が一、それが本当にできなかったとしても、他に代わりになるものを探したり

自分で創ったりすることだってできるから大丈夫」

そういうことを知っている自分を育てていく

それが「大人の自分を育む」ということなのかもしれない、と思います。



そして、自分の中のそういった部分を育み続けると

実際に年を重ねて所謂「大人」になっても

自分の中の「未知のものを怖がる子供心」が現れたときには

「何が怖いの?」とか「きっと大丈夫!」と声をかけたり

「とにかく工夫してみよう」などとコンタクトを取りながら

その子に寄り添い続けることができると思います。

そうやって共に一歩一歩進んでいくと

今まで、漠然と怖いと思っていたものが少しずつ減っていく可能性もあると思います。



でも、ときにはとても動揺して

「落ち着いた大人の自分なんて見当たらない」

「そんな自分は引っ込んでしまうくらいに、大きな不安を感じる。どうしていいかわからない」

ということもあるかもしれません。

そんなときには

その道のプロや、そのことを同じように悩んで潜り抜けた人たちに

助けを求めるのもいいと思いますし

また、私のようにカウンセリング等をしている人たちがお役に立てることもあると思います。

他者の視点や手を借りて

時には内面を少し掘り下げて、実際に何が起きているのかを見てみながら

自分自身の「大丈夫だよ。何とかなるよ」

という感覚を育んでいくこともできると思います。



ちなみに、私は時々エスカレーターに乗りながら、自分の中の子供心に

「ほら、しのちゃん。今私エスカレーターに一人で乗れているよ!

体も大きくなったし、色々な経験しながら、大人の私も育ったでしょ。大丈夫だよ」

と心の中で語りかけたりするのですが

そうすると私の中の子供心が

「本当だ~。やったね☆ もう今はエスカレーター怖くないよ ( ^ 0 ^ ) / 」

と喜ぶ気がしています☆



※自分の中の子供心というものは、きっと成長してもなくさなければいけないものではなくて

むしろ、大人の自分の感覚が育まれる程に伸び伸びして

年を重ねた自分が慣れ親しんだものに固執しているときには

「新しいことをやってみようよ!やってみたいよ!」って

誘いかけてくれることもありますよ! ( * ^ - ^ * )





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