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欲しいものを得るために、妙な苦労を買おうとしてはいないだろうか? 

自分の内面を掘り下げていくと、様々な思い込みが出てくることがありますが、それらの中には自分が属したり関わっているグループ(の文化・意識)から受け継いだものもあったりします。
そして、たくさんの人が好む美談の一つに、苦労した上での成功というものがありますが、振り返ると私の中にも「苦労した分、報われる」という根深い思い込みがありました。

けれどもよくよく見ていくと、苦労と報い(成功・幸せ)は必ずしもイコールではないんですね。
自分がエネルギーをかけた分だけ、何かが動くということはもちろんあります。
でも、それがうまくいかないと、己に負けてしまう人もいます。
ボロボロになってやる気を失ってしまったり、卑屈になってしまったり、望むものを手にしたとしても「自分はこれくらいやったのだから当然だ」と傲慢になって人を見下してしまうケースもあるかもしれません。
また、無理をしすぎて病気になったり、後から具合がわるくなってしまうというパターンもあります。


私は体力的にはそれほどがんばれない方かもしれませんが(笑)、精神的にはかなりがんばってしまう癖があって、思い返すと「はっきり言ってあれは無駄だった」や「あのやり方ではなくてもよかったかもしれない」という事が幾つもあるのですが、そういった経験をする中で「なんだ、ただ苦しい思いをすれば報われるとは限らないじゃん!」と気がつけたのは幸いだったと思います。

そして、苦労をしてしまいがちな方には「もしかすると、自分はそこから何かを得ようとしてはいないだろうか?」まで見ていくことをおすすめします。
掘り下げると、例えば周りに「すごいね」と言われるのが嬉しかったり、一つの方法でがむしゃらに何かをすることを決めてしまうと他のやり方について考えなくてもいい、等という意識が(少しでも)見つかる可能性があります。
また、何等かの理由によってスムーズにいくこと自体を怖がっている(求めていない)というようなこともあるかもしれません。


更にこれらも確かめてみましょう!

□今やっていることは、本当にそこまでのエネルギーを使ってやる必用のあることだろうか?
□そのやり方が適切かどうかを考えることを放棄してはいないだろうか?
 (↑たとえ始めたときにはそうすることが適切に思えていたとしても、果たして今もそうだろうか?)
□(辛口になってしまいますが→)もしかすると、がんばる自分にただただ酔おうとしているところはないだろうか?
□辛い思いをすることが当たり前になってしまっていて、それが普通だと麻痺してはいないだろうか?
□自分が本当に望むもの・欲しいものは何なのか?


そしてまた、「苦しい思いをする分、私に幸せをください」という取引の意識がどこかにないかどうかも見ていくといいと思います。
「これについて、たくさん心配しますから、実際はナシにしてくださいね」等というケースもあるかもしれません。
もしもそれがあったとしたら、それは結局欲しいものを手にする為に自分が使っている(一つの)方法なんですね。
そしてそのやり方しか知らなかったり、その方法で上手くいかないと、楽しそうに見える人に対して腹が立ってくることもあるかもしれません。
何だかモヤモヤするときには自分を振り返るチャンスです!

「もしかして私は今、妙な苦労を買ったり、買おうとしてはいないだろうか?」と自分に聞いてみましょう。
そして「そうかも…」というときには、そこから動いていくための言葉をここに書いておきますので、よろしければ口に出して言ってみてください。^^

「欲しいものを手にするために、必ずしも苦しい思いをしなくてもいい」

信じられなかったら、まずは「かもしれない」を付け加えるのもいいと思います。
そうすると、今までは想像もしなかった道が見えてくるかもしれません。
その道が視界に入ってくる可能性の扉をご自分で開くのです!

「そう思うのは難しそうだな」という方はご自身が神様になったと思ってください。
そして誰かがあなたに何かを頼もうとして、次のように言ってくるのを想像してみましょう。

「どうしてもどうしてもあなたに○○してほしいから、私はこれから全速力で自分の家の周りを走ってきます。もしも足りないというなら、30回、いや50回、いやいや100回…走りますから、お願いだから○○してください」

「え!?いやいやいや…。あなたが走るとか走らないとかは、私が○○するのに関係ないよ」と思ったりしないでしょうか?^^
そしてまた、苦しい人を見たいという欲求を持っていなければ(神様にそれがあると思いますか?)大変な姿を上乗せされても「やめてよ」「そんなの意味ないよ」と思いませんか?
自分が祈られる立場になったら「そんな努力を見せられても…」と困惑したりしませんか?

「情熱はわかった。でも走るのは必要ないよ…」
「そんなに勝手にがんばって、倒れないでよ…」
「自分でがんばった挙句に疲れ果てて、私に見捨てられたとか言わないでね…」
「っていうか、もっと違うことをしてよ…」


(こんなふうに思ってしまうような妙な苦労を、自分もしようとしてはいないでしょうか?)

そして、何だか可哀そうになって願いを叶えてあげることにした場合、「そうか、やっぱり私が走れば走るほど願いを叶えてくれるんですね。次はもっともっとたくさん走りますから、自分の体にムチを打ってでも走りますから叶えてくださいね!」と更にやる気を出されてしまったら「え~!?」と思いませんか?

私だったら「そんなの全然嬉しくないから、お願いだからやめて~。それは関係ないことに早く気づいてほしいな」と思います。

また誰かに「私はあなたに願いを聞いてもらえるまで、頭を壁に強く打ち続けます!」なんて言われてしまったら、「やめて~。><」と思いますし、「私が傷つくのを見たくないですよね!?」と迫られたら、「あれ!?…実はそれって脅しじゃない!?」と思ってしまうかもしれません。笑)

ご自身だったらどうでしょう?
もしもあなたが神様だったら(願いを聞く側だったら)ただただ人の苦労を見たいでしょうか?

もしも「必ず自分の苦労を捧げなければ、願いは叶えてもらえないのだ」と信じているとしたら、もしかするとそれは「ご自分が想像するところの(どこかでそう思い込んでしまった)神様の望み」かもしれません。

「じゃあ、どうすればいいの?」という方は、神様(or 助けてくれると思っている対象)にこのように願ってみるのはどうでしょう?
私は今こういったものを望んでいます。
そのために自分ができることをしたいと思います。
もしも私のやり方が間違っていたら、もしくはもっといいやり方があったら教えてください。
&全体的に調整が必要なところはお願いします!

また私の設定しているゴールにおかしなところがあったらそれも教えてください。
と付けておくのもいいと思います。(ゴールがずれていたら、元も子もないですから!^^)

ちなみに精神世界に目覚めた私の母は、いつの頃からか私が何かをするときにあまりにも深刻な感じになっていくのを見ると「ほらちょっと、がんばらないで楽しみなさいよ!」と声をかけてきたりするようになりました。
「この世はただがんばるためにあるんじゃないのよ~」と。
そして、そう言われた私は「あ、そうだった。またがんばろうとしちゃった。^^」みたいになるのですが、必要以上に深刻になってしまうのも実は習慣だったりするんですよね。笑)
特に慣れていないことだったりすると、どこで力を抜いていいのかさえよくわからないこともありますが、MUSTではなくても「できるだけ楽しくやることも忘れないでいよう!」を意識すると、随分変わってくるものもあります。
(目的地にはキリキリ神経を使って行くことも、鼻歌を歌いながら行くこともできるのです!)

そしてまた(妙な苦労を買おうとする癖がある際には見直していくといいと思いますが)自分が情熱を感じるものに意識的にエネルギーを注ぎ込むような意味においてのがんばりはありだと思います。
ときには何かを突き詰めていく喜びというものがあるかもしれませんし、全力で走ると気持ちがいいこともありますよね!
また何かに対してやれることは全部やりたい。それだけそのことに対して熱い思いを抱いているからということもあると思います。

ですので、その根底に喜びがあるときにはがんばればいいし、そうでなければやめればいい。
そのくらいシンプルでもいいと思います。
そして、がんばるのもがんばらないのも自分が選択しているのだと思えれば、そのスイッチをより意識的に動かすことができるようになると思います。

また、一旦がんばることにしたけれど、それを切り替える目安(ストップ、減速、やり方を変える)は、自分が決めた目標(←途中変更もあり!)にたどり着いたとき、単純に疲れたり、効率がわるくなったり、そのエネルギーの向け方や方向性が何だかしっくりしないとき、がんばっている自分がイヤになってきたとき…、等々かもしれません。

そして、これを読んでくださっている方の中に、妙な苦労を買うのはもうやめたいけれど、以前自分がした選択の影響下にあって、そこからすぐには抜け出せそうにないという方がいらっしゃいましたら、その状況から出るために今自分ができることをしたり、そこから学べるだけのことを学んで進んでいくといいと思います。
まずは今の自分を責めることなく、その苦しみをできるだけ緩和する方法を探しながらご自分の人生に変化を招くのです。


今回は「妙な苦労を買おうとしてはいないだろうか?」にフォーカスしてみました。
この記事は生きづらさを感じている方の参考に少しでもなればと書いておりますが、ご自分の人生はご自身のものです!
もしも響くところがありましたらご自身のやり方で取り入れたり試してみてください☆
また、色々なケースがあると思いますので、個別のカウンセリングを望まれる方はお手伝いもいたします。
ブルーミングツリー(2020年9月の現在はスカイプ特別セッションも行っております)


志野


9/6(日)&19(土)心と体が喜ぶ癒しフェスティバル(横浜・東京)出展予定 

9/6(日)と19(土)は、心と体が喜ぶ癒しフェスティバル(横浜・東京)に出展を予定しております。

この時期、癒しフェスティバルではコロナ対策として、入り口前で体温チェックと手指の消毒を実施、机と椅子の消毒、定期的な換気、空気清浄機の設置、広めのブース間隔、出展者へのウイルスシャットアウトの配布、定期的に空間殺菌に特殊消臭次亜塩素酸水の散布をしていただけるそうです。
(またセッション時に使っていただけるよう、私のブースでも消毒液をご用意します)

※会場にはマスク着用でお願いいたします。(もちろん私もします!)
※当日37.5度以上の熱がある方や体調のすぐれない方は、ご来場をお控えいただくようお願いいたします。
セッションをご希望でも対面を望まれない方は、スカイプ特別セッションも行っていますのでご利用ください。この時期ショートバージョンも提供しております



☆9/6(日)「横浜ワールドポーターズ(6F)」で行われる『心と体が喜ぶ癒しフェスティバル (横浜)』 出展
開催時間 11:00~18:00
(ブース番号は、25です!)

☆9/19(土)「東京都立産業貿易センター(台東館)5F」 で行われる『心と体が喜ぶ癒しフェスティバル (東京)』出展
開催時間 10:30~17:00
(ブース番号は、44です!)




現在のイベントメニュー(特別価格)はこちらです。↓

ナチュラルチャネリングによるカウンセリング 15分2,500円
恋愛、人間関係、仕事、夢、ご自分について…のお悩みはありませんか?
気になっていることや悩んでいらっしゃることをお話いただいて、対話の中で今大切なポイントやできることをお伝えしていきます。

ご自身の現在の流れが浮かび上がるユニコーンカード 約5分900円
ちょっと試してみたいという方にお勧めのメニュー。
カードがお好きな方にも好評です。
ポロリと涙を流されたり、カードを写真に撮って待ち受けになさるという方もいらっしゃいます☆

①と②の組み合わせも承ります!

セッションのご予約(15分以上、前日まで)も承りますので、ご希望の方はご連絡ください!
shino_therapy@blooming-tree.com
(お名前、お電話番号、メールアドレスを教えて下さい☆)


ご縁のある方、お会いするのを楽しみにしています。


志野

過去世という物語を超えていこう! 

今回はとてもスピリチュアルな感じのトピックで、「過去世」を取り扱いたいと思います。
過去世をどのように扱うか、そもそもそういったものがあるか・ないかをどう捉えるかはそれぞれです。
私は普段あまり過去世について話したりしない方だと思いますが、ちょっと書いてみます。

過去世についての私の感覚ですが、今回はこのようにお話してみるのはどうかな、と思いました。
よろしければ、一枚の紙を思い浮かべてみてください。
(A4とかB5のコピー用紙のような紙でもいいですし、もっと小さくても構いません)
そして、その紙の周りに、その上下左右を囲むような形で更にたくさんの紙がバーッと並んでいるのを想像してみてください。
(細かなタイルが一面に並んでいる感じです)
最初に思い浮かべた真ん中にある紙が「今」(という象徴)です。
そして、その周りにあるのが過去だったり、未来だったりします。
それらはランダムだったり、一見キチンと並んでいるかもしれません。
中にははっきり見えるものも、ぼんやり見えるものもあるかもしれません。
(各紙はよく見ると、立体的であったり、球体の一側面かもしれません。また、文字だったり、動画のようなものが映っているかもしれません)
ここで、一つの紙に注目すると、ざざっとその紙がやってきて「今」の紙と接触します。
そして「今」の自分が何かを感じたり、思ったりします。

たくさんある紙の内、中には目に留まりやすい(もしくは、見ないようにすることで逆に意識している)ものもあるかもしれませんし、特に気にも留めないものもあるかもしれません。
またしょっちゅう側にやってくるものや、彼方に収まっているものもあるかもしれません。
中には本当に自分に起きたことなのか、想像なのか、人から聞いたことなのか、はっきりしないようなものもあるかもしれません。
また、先のことを考えたときに、幾つもの未来と呼べるような紙が見えるかもしれませんし、起こりうる可能性が高い紙が「今」に近づいてくるかもしれません。

そして更に、頻繁に思い出す(やってくる)昔のことは、次のように見ることができます。
それは何らかの理由があって、今この瞬間の自分とコネクトしている。
つまり、今の自分がこだわってしまうお話として、何度も何度も呼び寄せてしまっているともいえます。

私たちは楽しかった記憶を振り返って、美味しいキャンディーを舐めるように幾度も味わうこともできれば、苦しかったり辛い思いをした時のことを思い出して、繰り替えし傷つくこともできます。

楽しい記憶はいいのです。
けれども、辛い記憶はどうすればいいのでしょう。
それは自分が繰り返しこだわってしまうお話として、今、折り合いをつけていくのです。
今ここにいる自分がその話と折り合いをつけることができるようになると、その記憶は必要以上には近寄って来なくなります。
それはあるべき場所に、もしくは目に入らないほど遠くに行ってしまうのです。

そして過去世というものも、この紙のようなものの一つとして捉えることができると思います。
また、どのような過去世の記憶が蘇ってきたとしても、私たちは「今」に生きていますので、浮かび上がってくるものがあるとしたら、それと「今」どう関わるかです。
究極的に、それが本当に起きたことなのかどうかさえ、問題ではないといえるかもしれません。




ここで私の個人的な話をしたいと思います。
実は私にもずっとこだわってしまった過去世というものがありました。(ただこだわってしまったお話として捉えていただいても構いません)

ソレを思い出したのは、小学校の低学年の時。
私は夜寝る前に「かあさんは魔女じゃない」(ライフ・エスパ・アナセン著)という本を母に読んでもらっていました。
内容は今ぼんやりとしていますが、お母さんが魔女だと思われて殺されてしまう少年の話です。
その話を聞きながら、私は無邪気に聞きました。
「お母さん、ヤキゴテってなぁに!?」
「こうやって熱い石をジューって押し付けられることよ」
そう言われて触れられたその瞬間、私が感じたのは「怖い」や「熱い」ではなくて「人としての尊厳を奪われ、辱めを受けた」という屈辱でした。
そして、同時に気がついたのです。
この感覚を私は知っている。
初めてではなく、他人事ではなく、コレは私に起きた!

それから私は読書感想文で「魔女狩りで殺されてしまった人たちの悲しみについて」みたいなものを、一度だけではなく書いた覚えがあります。
「なぜあの時、あの本を母は選んでいたのかな?」とも思うのですが、私の母は今、私の「スピ友」(=「スピリチュアル・フレンド」…大体似たような精神世界の知識を持っていて、体験を含めて分かち合える人)でもあるのです。
母は結構オトコマエのところもあり、モジモジしたりする人の気持ちがあまりわからなそうだったので、小さな頃は親近感を抱けていない面もあったのですが、私が20歳位から共に精神世界をより意識するようになり、今では親子という立場としてだけではなく、色々な話をしたりしています。

話は戻りますが、そういう記憶があるからなのか(そういう話を気にしてしまう自分がいるからなのか)、私は至近距離に火がチョロチョロくる感じがずっと好きではなかったのです。
手持ち花火もちょっと苦手で、誰かのタバコが側にくるのも嫌い。
安全な場所でキャンドルや暖炉の火を眺めるのはいいのですが、ロウソクを持って歩いて祈ったりするのはムリ。
マッチはがんばって使えるようになりましたが、ライターは怖いので、必要なときにはチャッカマンを。
料理は大人になる過程でさすがに慣れましたが、それでも自分が火を扱うときには、どこかで完全にはリラックスしていなくて、昔、炒め物をしている最中に元カレが側にやってきて、ノリノリでギターを弾きながら大声で歌い始めた時には「気が散るから止めて~」となったこともあるくらい。^^

更に、20代の頃から割とどっぷりニューエイジの世界にいた私は「スピリチュアルってすごいのよ~。キラキラキラ」みたいな人を見ると、いつも思ってしまうことがありました。
「そんなのんきな発言をしていると殺られるよ~。><」
人間が相いれないと感じる人に対してどれだけひどいことができてしまうかを知っている自分の一部が、瞬間的に反応してしまうのです。

また前世リーディングの話になりますが、20代初期、スピリチュアル系のワークショップのスタッフをしていた時に、日本でも結構有名な過去世を扱うセラピストたち(※私は他の方の過去世をいつでも映像として引き出してバーッと語るような専門家ではありませんが、そういったことを得意とする人たちもいます)と接することが何度もありました。
そして、スタッフもリーディングをしてもらえるような機会もあったのですが、なぜだか私の過去世にだけは触れられないことまであって、私の中に安易に触れられたくないという思いがあり、且つ向こうにも何となくそれが伝わるのを感じたりしました。

結局、このお仕事を本気で始めようと思った2009年に、ちゃんとした時間をとって、自分が薄々感じている過去世を他者目線でもしっかり見てもらうことにしたのですが(※過去世といってもたくさんあるのが普通で、その時の状況によって出てくるものが違うこともあります)定期的に受けてきたエクトンのセッションで、今影響している過去世があるかを聞いた時、次のような話が語られました。

様々な時代や異なる文化圏で聖職者やヒーラーであったこと。
ずっとずっと人間の幸福の向上というものについて考察してきたこと。
そして、赤道下の火山のある島でサイキックな治療をしているネイティブドクターであった時に、人々や長老たちにそのスキルをとても怖がられ、どんなに説明してもわかってもらえずに、焼かれたり茹でられたりの拷問の末、権威に挑むとどうなるかの見せしめのために殺されてしまったこと。

そして今、その時の記憶が今世でヒーリングやカウンセリングを始めるうえで、やりたいけれど怖かったり、抵抗を感じてしまう部分につながっているようだということ。
更にそれに対して、下記のような見解が述べられました。

〇もう、そういったものには立ち向かわなくてもいいということ
〇自分がサポートできる人たちにただ応えればいいということ
〇失敗してしまうことよりも成功して注目されてしまうのが怖いという思いがあるようだけれど、殺されてしまうようなニーズは持っていないこと
〇人々からの注目のオンオフ、それがやってくる道のオンオフも自分でできること
〇これから起こる地球の大変化の時代に、ヒーラーとしての役割を果たすこともできるし、過去世の恐怖を使って自分の足を止めてしまうこともできる
〇宇宙は完全にあなたの意志を尊重する
〇あなたは危険にあるわけではない


こんなふうに言ってもらえたのはとても有難かったし、納得もしましたが、それでも怖かったです。
そりゃ怖いですよ~。^^
もう二度とあんな経験はしたくないし、あんな二の舞にはなりたくないという思いに加えて、もともと内向的な面もある人間が自分の顔や名前を出して(特にこの分野で)何かを始めるのはワクワクを通り越して恐怖でした。
けれども、やはりそれでもやりたいそういった恐怖を越えてまでやりたいという思いがあるのです。

結局一番有効だったのは、安全だと信じるだけではなく、信じようとするだけではなく、最初は特に慎重に動きながら、「本当に大丈夫だった!」と確かめるような実体験を、今というこの世界の中で、何度も何度も積み重ねることでした。

更に大きかったのは、応援してくれる人(存在)たち+お客様+時代の流れもあるかもしれませんが、この仕事とは別の関わり合いの中で、私がスピリチュアル系に携わっていることを話したときに、全然怖がらずにただ「そうなんだ~」と受け入れてくれる人たちも増えたこと。
スピリチュアルな仕事をしているから好きとか嫌いを越えたところで、私を一人の人として受け入れてくれる人たちとの出会いは、とても嬉しいものでした。

更にこだわってしまう過去世(物語)を振り返って気がついたことは、「自分のことを証明しなければいけない他者というものは、本当のところ存在しない」ということでした。
振り返るとその時の私には、「自分が脅威の対象ではないことや、見えない世界とのつながりは誰にとっても自然であることも含めて、もっと理解されたい」という思いがあったのだと思います。
けれども他の人が何をいつどのように理解するかは、究極的に私が決めることではないのですよね。^^ 
また、たとえスピリチュアルな分野ではなかったとしても、自分の考えややることに対して、賛成な人もそうでない人も、どうでもいい人もちょっと気になる人もいるというのは自然なことです。
こういったことを踏まえると、今特にそれを求めていない相手に、わかってもらおうとして、わかってもらおうとして、向かっていくことはしなくていいというのも改めて感じました。(更に、あまりにもその方面に焦点を当てて向かい続けることで、逆にそういった人たちを自分の世界に招いてしまう、という悪循環が生まれる可能性があるとも見ることができます)

また、今から20年位前の話になりますが、精神世界に目が行き始めた当初の私は絶対的な真実を求めていて、自分が感じるところの真実に目覚めるようになったのですが、その後、次のようなことにも気がつきました。
世界にはたくさんの似たような人たちがいて、それぞれがそれぞれの真実と共にあるということを。
そして、その真実は似ているものもあればそうでないものもあり様々で、更に「一体どちらが(相手にとっても)正しい真実であるのか」を決めようとすれば簡単に宗教戦争のようなものが始まってしまうということも…。
昔の私には「皆が絶対的な真実を共有すれば、平和な世界になるのではないか」という思いがどこかにあったと思うのですが、今は「表現というものがある(それを発する存在がいる)ならば、真実というものは全く同じでなくても構わない」とも感じますし「互いにものの見方が違っても、押し付け合ったりせずに、仲良くできればいい」とも思っています。
更に、どうしても今それが難しそうな場合には、適切だと感じる距離を取ることを含めて検討していくことも、もともと求めていた平和につながる道の一つになると感じます。

そして、今の私が、セッションやワークショップをするうえでの話になりますが、私は自分自身を完全に理解されるためではなく、自分のクローンや、私の言うこと全てに頷き続けてくれる人たちを生み出すためでもなく「私の発信することが、それと出会う方たち(がそれぞれの道を行くうえで)のお役に立つのならそれでいい」というスタンスを保ち続けられたらいいな、と思っています。^^


とういことで、今回はこのブログで初めて過去世について触れてみたのですが、私の個人的な体験は、もしも似たような方がいらっしゃいましたら、「私もやっているし、大丈夫そうだからお互いがんばろうよ☆」という応援になればと思います!

また、過去世に限らずですが、今、頻繁に浮上する嬉しくない昔の記憶(物語)があるとしたら、今の自分がそれと折り合いをつけていく、チャンス&チャレンジとしてみていくこともできると思います。
私は過去世セラピストとしての専門家(←それを物語のように聞きたいという人は、そういう方のところへどうぞ)ではありませんが、お悩みを伺っているとその核の部分やそれを解す鍵のようなものを感じたりしますので、ご興味のある方はセッションにお越しください。→ブルーミングツリー


志野



スカイプ特別セッションのお知らせ 

6/30までご案内させていただきましたスカイプによるショート&ロング特別セッションですが、コロナウィルスの影響が長引きそうですので、少し形を整えて再び提供いたします。(この時期、対面セッションを望まない方もいらっしゃると思いますので、この先暫くは期限を決めずにいきたいと思います)


30分のスカイプ・ショートセッション(5,500円)(経済的な事情のある方は、1,000円引き

75分のスカイプセッション(1,3500円)(経済的な事情のある方は、2,000円引き

90分のスカイプ・ロングセッション(16,500円)経済的な事情のある方は、2,000円引き


※スカイプはコチラよりダウンロードして無料でご利用いただけます。



お申し込みの詳細は通常のカウンセリングと同じになりますが、こちらをご希望の方は「スカイプセッション(○○分)」という件名で、メールをいただければと思います。

→ shino_therapy@blooming-tree.com
お名前、メールアドレス、電話番号、ご希望日や時間帯(幾つか挙げてくださるとスムーズです )をご記入ください。
(スカイプのアカウントを既に取得されている方は、スカイプ名も教えてください)

お申込み受付後、日程を調整してご予約確定。

指定口座にお振込いただき、スカイプセッションとなります。


今は色々移り変わる時ですので、不安定なお気持ちになる方もいらっしゃると思いますが、少しお話をするだけで随分変わることもあると思います。
ぜひお気軽にご利用くださいませ。

志野


ありがとうございました!! 講演 『多次元を覗いてみよう☆戦わなくても夢が叶う可能性があるかもしれないよ!』 

昨日は 心と体が喜ぶ癒しフェスティバル に出展&講演会場では「多次元を覗いてみよう☆戦わなくても夢が叶う可能性があるかもしれなよ!」というお話をさせていただきました。
 
このような時期に会場まで足を運んでくださった皆様、講演の後日録画配信を予約してくださった皆様、色々な応援やお優しい言葉をくださった皆様、いつもあたたかなサポートをくださる ゆっぴーさんこと西田 裕子さんをはじめとする癒しフェスティバルのスタッフの皆様、お礼申し上げます。
 
多次元についてはずっとお話したいと思っていましたので、今回の実現をとても嬉しく思います。そして、お耳を傾けてくださった方のお役に少しでも立ちましたら幸いです。
 
本当にありがとうございました☆
 
 
志野


多次元を覗いてみよう☆3

多次元を覗いてみよう☆1