FC2ブログ

お別れの先にあるもの 

様々な物事が大きく変わりやすい今日、今まで関わってきたものを手放すことになった方たちも多いのではないかと思います。特にその流れに意識的に乗った覚えがないという場合、大きな葛藤や悲しみを感じることもあるかもしれませんが、今回はお別れの先にあるものに目を向けた記事をUPしたいと思います。



私は別れや終わりといったものが嫌いで、往生際がわるかったり、引き延ばしたりを今までたくさんやってきた。
でも、そうやってジタバタを繰り返した中で学んだことも確実にあって、たとえ辛くても「今このタイミングで手を放すことが本当に適切だ」というような別れがあるのも知った。

時にそれは腹を切るような決断で、その瞬間は悲しすぎて眩暈がしたり、しばらくの間は禁断症状のような感情の揺り戻しがやってくることもあるけれど、それでもやがて後から「あれでよかったんだ」と思う日が来る。

そして、そういった苦しみを越えて見つけたものもある。

それは、別れは全ての終わりではなく、新しい世界に続く扉でもあるということ。

別れの後のぽっかり空いた空間に、寂しさやあせりから何でもかんでもやたらと詰め込んでしまおうとせずに、自分の望むものの本質にフォーカスし続けていると、やがて新しい素敵なものがやってくる可能性があるということを。

それでも、「新しい素敵なものなんて欲しくない。苦しくても窮屈でもこのままがいい。今のままでいたい」と私の中の小さな私がそう言い張って、不自然に何かを引き延ばしたりしようとすると、その不自然さから事態は更に悪化したり、思いがけないサヨナラの波がやってきて、全てをさらっていってしまったこともあった。


昔、どうしてもお別れできないものがあってしがみついていたときに、自分の中のどこか深いところから何度も何度も聞こえた言葉がある。

「愛を持って手放しなさい。
やがてそれは形を変えてあなたの元に還るだろう」


この世界では、時に終わりに見える変化が避けられない。
それが真実だ。
けれども、たとえそれを嘆き悲しもうとも、二度とこの手で触れることがないものや、この目で見ることがないであろう光景も、深いところでは無くなったわけではないと感じる時が来るのもまた真実だ。

出会いと別れのループが避けられない世界にいることを切なく感じるときも、それを知っているだけで、ほんの少しだけ、別れの辛さが軽減することがある。

別れの対象は様々で、人との関わりや特定の場所、楽しかったひと時、使ってきた物、続けてきた事、習慣、これが自分だと信じてきたアイデンティティのようなものから思想に至るまで、本当に色々なものがある。

人はそこから離れる時、慣れ親しんだものに対する執着やその喪失に恐れを感じたりするけれど、それでも、その先には必ず新しい世界がある。


志野

愛のクリーニング屋さん 

(今回の記事は数年前に書いてそのままにしておいたものですが、少し前にこのお店に行き、思い出してのUPとなります!^^)



「愛のクリーニング屋さん」なんてタイトルをつけてみたのだけれど

行くと必ずといっていいほど癒されてしまうクリーニング屋さんがある。


うちから少し離れているので、気が向いたらとか、その近辺に用事があるときに利用するところなのだけれど

先日久しぶりに行ったら、やっぱり癒されました。


そこにいる、おばさんがすごいのである。


ものすごく普通にとても優しい。


「今日は風が強いわよね」とか「寒い中お待たせしちゃってごめんなさいね」とか

「あら、これ素敵なスカートね」とか「このマフラー、綺麗な色ね」とか「スタンプおまけで押しておくわね」等々

いつもいつも普通の親切をこれでもかという程してくれる。


それも全く営業という感じではなくて、媚も嫌味もなく無条件に優しい。


人にはそれぞれの愛情表現があると思うけれど

この人は何だか万人の中にいそうな理想のお母さんみたいだなぁ、と思う。


かなり疲れているときに、そんなふうに迎えてくれたおばさんと接していたら

思わず泣きそうになってしまったことまであった。


おばさんはきっと自分がものすごく優しいことに、気がついてもいないんじゃないかな、と思う。

たとえ、もしも何処かに「いい人でいよう」という思いがあったとしても

それは相手に好かれるためとか、お店に来てもらおうとか、そういう感じではなくて

「ただ自分がそうしたいから」かもしれないと思う。



そしておばさんからは「遅くてごめんなさいね」とか「今すぐやるわね」というような言葉も出てくる。

間違えないように、ゆっくりレジを押しながら。

そんなおばさんに「いえいえ、ゆっくりでいいです。急いでいませんから」と言いながら

私はそのちょっとしたやり取りにさえ、とてもあたたかな気持ちになる。


この人は、もしも困っていたら深い事情を話さなくても「あらあら、大変だったわね」と無条件に受け入れてくれたり

「いいことがあったんです!」と言ったら「あら、よかったわね」という言葉を自然にかけてくれそうな人だ。

(というのは私の勝手な妄想で、あくまでも普通のクリーニング屋さんなんですけどね。笑)



以前、おばさんの優しさにじ~んとしているうちに

「いつもありがとうございます。ここに来ると何だかほっとするんです」と思わず言ってしまったら

おばさんはきょとんとして「あらまあ、そんなそんな」と笑いながら、かごの中の飴を勧めてくれた。^^


本当にこの人には頭が下がる。


小難しい理屈よりも、こういった優しさをただ求めている人はきっとたくさんいるのだろう。


こういう人が増えると世界が平和になりそう、なんて思いながら私は帰りの自転車に乗る。


パワースポットは意外と身近なところにもあったりするものだ。


志野


③恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より) 

②恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)の続きになります。


それから2年後くらいに、再び「歯」に違和感が出てきました。
前回は無事に乗り切り自分の状態も落ち着いたものの、「歯医者さんに行こうかな」という思いと同時に、あのときの恐怖が一瞬よみがえり、思わずインターネットで「歯医者 怖い」などと検索をかけてみると、似たような悩みを抱えた人が少なからずいることも知りました。
そして、そういった中で見つけたのが、歯科治療の恐怖を軽減する「笑気麻酔」
これはとてもわかりやすい対策ですが、「この麻酔を扱っているところは、歯医者さんに恐怖を覚える人たちも対象にしているだろう」と(前回の歯医者さんも親切にしてくれましたが、そこには笑気麻酔がなかったので)この麻酔を利用している歯科医院を更に調べてみました。
(また、スピリチュアル系に関わっていると西洋医学のみにフォーカスしていない歯医者さん情報も入ってくるのですが、そういったものをどう捉えるか・関わるかはそれぞれだと思いました)
それから「今の自分に合う歯医者さん」を直観なども用いて絞りに絞り上げ、最後まで候補として残った医院に行くことに決めました。

そして、事前予約のメールで「必要でしたら笑気麻酔も使って欲しい」旨を伝えて、再びやってきた診察台。
やはり、それなりに緊張して座っていたら、ふら~っと入ってきたのは、どことなく映画の“寅さん”を彷彿とさせる男の先生!!

その先生は「なに~?歯医者が怖くなっちゃったの?でも、笑気麻酔はなくてもきっと大丈夫だよ~」と言いながら私に近づいてきて、「ほれ、口開けてみな!」と、怖がる小動物をささっといじるように治療をすませてしまいました。
この先生のおかげで私はその後もリラックスして治療に臨めたのですが、先生(以来、心の中で勝手にトラさん先生と呼んでいます。^^)と私は、お医者さんと患者として、とても相性がよかったのだと思います。
(もしかすると、先生のような気さくさが逆に苦手な方もいらっしゃるかもしれませんが、あのときの私には、クールで隙のない感じの人に診てもらうよりも合っていたのではないかと思います。ただ、私には考え方も含めた歯科治療についての専門的な知識が少ないことと、相性等は人によっても違うと思いますので、お勧めの歯医者さんとしては敢えてこの場で名前を出さないでおきます)

そして、自分の経験からも言えるのですが、恐怖を感じるときには、ものすごく深刻だったり、恐ろしく真面目になっていることが多々あります。
ですので、そういったときには自分にとってのいい加減さがある(←無責任という意味ではなく、知識や経験が自信となって、良い意味で力が抜けていたりする)人と接することで、救われることも多いのではないかと思います。
私の場合、診察台に上がることさえ不安を感じていたあの頃の自分にフィットしたのは、トラさん先生の安心感のあるいい加減さでした。
(今、私もセッションで緊張していそうな方とお話するときには、自分のゆるさをいつも以上に引っ張り出している感があったりします。^^ また、色々な経験をした人がユーモアに行きついたり、その大切さを説くことがありますが、ユーモアや笑いというものは深刻さを一瞬で溶かしてしまったりするのですね☆^^)


そして、このような体験もしてきた私がセミナーなどで「恐怖」を扱うときには、そのポイントを大まかに3つに分けてお話することが多いです。

①恐怖を感じている自分を責めないこと
基本的に恐怖心は、自分の身を守ろうとして出てきます。
危機的な状況において、何も感じなければそれに巻き込まれてしまうこともあるからです。
ただ、何かのショックでその作用が活発になり、必要以上に過剰な反応をしてしまうことがあるかもしれませんが、そのようなときに「身を守ろうとがんばっている自分」をやみくもに責めるのは効果的ではありません。
この記事を振り返っても、怖がっている私を責めたのは最初の私だけですね!^^
「絶対に恐れてはならない」と設定してしまうと、逆にそれがプレッシャーになったり、少しでも恐怖を感じたときにその状態自体を恐れることによって、恐怖が倍増してしまう可能性もあります。
そして、もしも過剰反応が癖のようになってしまった場合には、そういった状態とどのように向き合っていくか、またその反応を軽減していくことに焦点を当てていくといいと思います。

②少しずつでも大丈夫な感じを増やしていくこと
どのような方法を取るかは本当にそれぞれだと思いますが、自分が安心や安全を感じられる時間を増やしていくことをおすすめします。
瞑想や呼吸法、今に集中したり、自然に触れることなどもおすすめですが、場合によっては他者の手を借りることも選択肢に入れるといいと思います。
自分が大丈夫だと感じられないときには、大丈夫な人の力を借りることも自分を大切にすることにつながりますし、世の中には、各分野においてスキルや知恵のある優しい人たちがたくさんいます。
そして、何らかの助けを求める場合には、自分の恐怖心を上回る安心感で包み込んでくれたり、大丈夫な感じを積み重ねていくことに手を貸してくれる人が、そのときの自分に合った支援者だと思います。

③恐怖の根底にあるものに目を向けたり、考え方や視点を変えていくこと
恐怖はそれを感じる人の反応であり、「そこに何か大切なものがある」というサインであることもよくあります。
その源に何があるか、またそれが何によって引き起こされるかはケースバイケースですので、ここではあまり細かくは触れませんが、感じる恐れにただただ蓋をしてしまうよりも、自分の内面と向き合っていくと想像以上の癒しにつながっていく可能性もあります。
(また、怖いと思っていたものが、視点を変えることで怖くなくなるようなこともあるかもしれませんし、大きな衝撃を受けている場合には、回復まで時間を要することもあると思います)


上記の3つのポイントですが、今、何らかの恐怖が過剰になっている方の参考に少しでもなりましたら幸いです。
そして、私と話してみたいという方は、個別のカウンセリングを受けていただければと思います。(HP→ ブルーミングツリー ※2020年11月現在は スカイプ特別セッションも行っております)
また、直接お話することがなかったとしても、ご自身の世界に安心や安全、優しさが拡がっていきますようお祈りいたします。

志野


②恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)  

①恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)の続きになります。



私がこの活動でお金をもらい始めたのは2009年ですが、それから割とすぐに人生の大きな転換があり、更に色々なことが重なったためにしばらく実質的なセッションを休んで自分の充電に重きを置く期間がありました。

そしてその頃、歯医者さんに通っていたのですが、ある日の治療中、水しぶきが飛ばないように顔の上部(目の周り)に布をかけられているときに、突然息が詰まるような恐ろしさを感じました。

それは意識を失ったり、気がおかしくなってしまいそうな恐怖で、思わず片手をあげて(←ストップのサイン)がばっと起き上がってしまったのですが、突然のことにびっくりした歯医者さんにも緊張が走り、集まってきた歯科衛生士さんたちにも「大丈夫ですか?」と囲まれて脈を測られた後、「今日はもう治療は止めましょう」ということになりました。

そして、予想外の出来事にかなりの衝撃を受けながら帰路に就いたのですが、途中で立ち寄った大きな書店のお手洗いの個室にふらふらと入った途端、とても怖かったことや、恥ずかしかったことに堪えきれなくなり、「もしかして私は壊れてしまったのかもしれない…」と涙が出てきました。

そのときでした。
はっきりとしたメッセージの塊が自分の中にドンとやってきました。

「傷ついていることに傷ついてどうするのですか。 多くの人たちは自分が完全であることをどこかで知っているが故に、 間違えたり傷ついたりすることを極端に怖れ、それを否定し、更に他者のそうした部分からも目を伏せようとするでしょう。 けれども、そうした部分もあなたが自分の完全性を表現するために、バランスを取ろうとしている一側面でもあるのです」
(私はナチュラルチャネリングを用いてセッションをしていますが、自分のことに関しても、顕在意識で全てを受け止めにくいときや緊急時に、このようなことが起きたりします。チャネリングを意識し始めた初期の頃は、様々なことに関して「頭の中で響く声」によって絶え間なく導かれ続けたのですが、今では通常の場合、その声は自分とより融合しているように感じます)

そして、少しだけ冷静になって、現実的に必要なことを整理してみたのですが、「あの歯医者さんを驚かせてしまって申し訳なかった」「きっと私は扱いづらい患者だろう…。」と湧き上がってくる思いに関しては、「今のこの状態の私と引き合って担当になっているのはあの歯医者さん。今回突然起きたことは仕方がないとして、今自分の調子がよくないことをきちんと説明しよう。そして、このことをどのように受け止めるかは歯医者さん次第だけれど、もしもあまりにもやりにくそうだったら、別の歯医者さんを探そう」と決めました。

そしてそれから、そのまま家に直行すると何だか自分の部屋に暗く沈んでしまいそうだったので、途中で飲食店に寄って休憩をしていくことにしたのですが、そこで休んでいると突然、「今から○○図書館に行くといい!」というとても強い感覚がやってきました。(このような感覚は、理屈では説明をつけることができなくても、追っていくと大抵何かにつながっているのを経験上知っているのですが、それを追うとしても無視するにしても、結果を自分が負うことになるのは忘れないでいたいと思っています)

それからその図書館まで移動して建物に足を踏み入れると、ほぼ同時にチャイムが鳴り、「今から○階で、映画の上映があります。よろしければお越しください」というアナウンスが流れました。
そこで「タイミング的に行ってもいいかな」と思い、そのフロアに上がってみると、そのホール会場の前では何とメンタルヘルスのご案内という紙が配られていました…。

そして、「なんだぁ。映画と誘いつつ、メンタルヘルスの案内だったのか…。でも、今この場所に自分が同調するということは、勘は鈍っていないみたいだけれど…、私は本当に調子がわるいんだなぁ」と思いながら映画を見たのですが、その後簡単な案内があり、「最近、この地区の自殺者が多かったので、こういった場を設けてみました。皆さん調子がわるいときには、気軽に相談にお越しください。人生の節目だったり、大きな変化の後にバランスを崩すことは、意外と誰にでもあるんですよ。それを知って欲しいのです」というような説明がなされました。

そのとき私は、「私も一応セラピーに携わっていたのに、こんな状態になっちゃったなぁ…。とほほ。でも元気になったら、セラピストとしての私の需要もあるかもしれないなぁ…。」などと思ったのですが、映画を上映する際にパチンと電気が消されただけで、びくっと体が反応してしまうほど弱っていました…。


そして、このとき浮かび上がってきた恐怖は原因がはっきりしている自分の調子のわるさに加えて、色々なことが重なったものだという自覚もあり、過剰に反応してしまっているのはわかるのですが、それでも再び歯医者さんに行くことを考えるだけで「また同じような状態になってしまったらどうしよう」と不安を感じたりするようになりました。(※この状態は、心理学用語で「予期不安」と呼ばれたりしています)
けれども、ここで逃げてしまったら歯医者さんがもっと怖くなってしまうという気もしました。

そこで、自分でも出来る限りのことはしようと思い、フラワーエッセンスなどの代替療法を利用したり、当日は体を締め付けない服を着ることにしました。
更にそれでも恐怖で意識が飛んでしまいそうな不安がよぎるので、スピリチュアル系の仲の良い友達に「治療中、遠隔で手を握ってほしい」とお願いをして、まるで拷問台のようなイメージになってしまった診察台に瞑想でたくさんの光を送り、目に見えないサポートも祈りながら臨むことにしました。

そして、再び顔を合わせた歯医者さん(←姉御っぽい女医さんで、いい意味で気を使ってくれている感じでした)に自分が今あまり調子がよくないことを説明して、「水が飛んでもいいので、顔に布をかけるのは止めてください。目を開けていてもいいですか?」と聞き、治療中は目を開けて歯医者さんの白衣(の繊維)をじっと見ていました。
一番よかったのは、治療の最中に、歯医者さんがご自身のちょっとしたプライベートな話をしてくれて、それを聞いていたら気持ちがかなり逸れたことでした。
(↑経験からも言えるのですが、「怖い」という思いでパニックになりそうなときには、自分の意識を「今、為すべきこと」 or「 今、怖くない何か」に向けるのが、そこから抜けるキーポイントの一つになります)

そして、その後も無事にその歯医者さんに数回通い続け、自分の内面も掘り下げながらバランスを取り戻していったのですが、この話にはまだ続きがあります。^^

③恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)に続きます。



①恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より) 

コロナウィルスのニュースが飛び交い、様々な変化が起こりやすい今日、気持ちが不安定になったり、とにかく何かが怖くてたまらないという方もいらっしゃるのではないかと思います。
以前の記事で、やわらかなポジティブシンキングに触れましたが、今回はもう少し深く恐怖についてお話したいと思います。
セッションやセミナーでもお話していますが、基本的に恐怖というものは、生物としての私たちが危機を感じたときに、身を守るために(逃げたり、隠れたり、威嚇するための合図として)湧き出てくるものですので、今の世の中において、多少の恐れや不安を感じることがあったとしても、ある程度それは自然なこととして見ることができます。

そして、そういった中では今自分が(体調管理なども含めて)できることをしながら、同時に『怖がっているときに先のことを考えると、悲観的な未来ばかりを思い描いてしまうかもしれないが、それは恐怖のフィルターがかかっている可能性がある(実際に起きるとは限らない)』『ショックなことが起きた後には、身を守る機能が過剰に働いて敏感になってしまうことがある』と知っているだけでも、不安を抱く自分を少し冷静に見ることができたり、怖いと思う自分を責めてしまうような時間が減っていくのではないかと思います。

そして、それでもとにかく怖かったり、恐怖を感じること自体が怖いという方は、今回まとめた記事、10年前の2010年に私が体験した恐怖について読んでいただいて、「誰でもバランスを崩すことはある&かなりの恐怖やパニックを経験したとしても、そこから立ち直ることができる」のを知っていただければと思います。

私はいわゆる伝統的なお医者さんではありませんので医学的なアプローチを行ってはおりませんが、お話していると相手の方の絡まっているところやそれを解すポイントのようなものを感じたりすることも多いので、この活動を続けています&もともと敏感なところがある故に、経験して乗り越えてきたものもシェアできればと思っています。(←似たようことが起きている方がいらっしゃったとしても、その原因や立ち直り方が同じとは限りませんが、参考になればと思います)


②恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)
※長文になりましたので分けました。
最後に、私が今セラピストとして恐怖を扱う上でのポイントも載せています。