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「収容所の話」より…エクトン 

今回は2013年に私が受けたエクトンの個人セッションから、「収容所の話」よりです。

この記事自体はその時に作成したものですが、かなり真剣に書いたためにちょっと重いかな、とそのままにしていて、この度ふとUPしてみようと思いました。

私はこの惑星(地球)において、人間一人ひとりの尊厳・尊重という意識がもっと高まっていけばいいと願いながらカウンセリング等を行っているのですが、こちらの記事も何らかの参考になりましたら幸いです。




以前、とある国の収容所から逃げてきたという人の話を耳にしたときから

「もしも今、そういったことが実際に本当に起きているとしたら何ができるかな」

と考えていて、「肉体を持たない存在だったら何て言うかな?」と非物質的存在であるエクトンに質問をしてみました。



 エクトンをチャネリングする、リチャード・ラビンさんのサイト
FBページ→ Ecton Portal エクトン・コミュニティー
               





私は時々とてもある国のある場所のことが気になります。
たくさんの人々がとてもとてもひどい環境の中で奴隷のように扱われていると耳にしました。それぞれの魂が生まれる場所を選んでいるという観点に立つと、恐らくそこにはたくさんの理由があるとは思いますが、私はひどい状況を耳にするといつもとても傷つきます。私は「自分が自分の現実を創造している(自分には自分の現実を創造する力がある)」という考え方がもっと拡がって世界が良くなればと願います。けれども、私や私と似たような人たちが彼らをサポートできることは他にあるでしょうか?

(Ec)
やがてあなた方が自分たちの現実を創造しているという見解が拡がるという基本的な気づき、そしてそれが拡大していくと信じることがこの特定の時期において本当にあなたができることです。
あなた方がその国に突入して攻め入り、政府を追い出して違う政府または違う信念体系と交換することはできないでしょう。
地球上のリアリティはそのようには働かないのです。
ここであなた方が扱っているのは進化というアイデアです。
そして進化には長い時間がかかります。
そしてあなた方の惑星上で起きていることの一つが、人間が残酷で野蛮な状態のステージから抜け出ようとしているということで、その状態は何千年も続いてきたものです。
あなた方は新しい人間を表現しています。
その新しい人間は、残酷で野蛮な状態の世界から出ようと試みている人々にとって魅力的でしょう。
しかし急ぐ必要はありません。
これを急に行うことはできないのです。
もしもその国、もしくはこの世界の他の誰であっても不運な人々を援助する機会があれば、もちろんそうするといいでしょう。
それ以外には、人間一人一人がその選択と創造に責任があるという考えを拡げるというあなたの仕事を続けることです。





ということでした。

エクトンの話を絶対とか、そういうものにしたいわけではないのですが

もしも私と同じようなことを考えている方がいらっしゃったら、参考になればと思います。



そしてここから先は自分の話になりますが

私がこういったことに興味を持ったり、反応したのは、完全な第三者としてだけではないように感じます。

その一つですが

以前イギリスに行ったときに

昔アイルランドの修道院でとてもひどい扱いを受けた女の人(nun)たちがいて

それがあまりにもひどかったために

自分たちが受けたことをそれからずっと話せないでいる・たという話を耳にしました。


私はその夜、とても恐ろしいリアルな夢を見ました。
(ご気分が悪くなる方がいらっしゃるかもしれませんので、ここでその内容は省きます)

目が覚めたときに、ルームメイトに「大丈夫?」と聞かれて

「とても怖い夢を見たの。
ひどい状況だったのに、助かると思っていなかったから、助けてと言えなかった。
助けてと言うことができなかった、言おうとすら思わなかったことが一番辛かった」

と話したら、「その感じすごくよくわかる」と言われて

それから薄暗い部屋の中、二人で狂ったようにわんわん泣きに泣いた思い出があります。

思い返しても、あの涙は泣くことができなかった人たちに、助けてと言うことができなかった人たちに捧げた涙だったように感じます。

その夢のようなことが本当に起きたかはわかりません。

象徴として浮かび上がってきたものかもしれませんし

もしかすると、どこかの時点での自分や誰かの魂が経験したことにそのときの自分の意識が同調して繋がったのかもしれません。

その日はそれから同じグループの人たちに夢の話をして
(そこはスコットランドのコミュニティで、私はそのとき二週間ほど滞在していたのですが)

「そういった人たちのために皆で祈りましょう」ということになったのですが

誰かが「それをしてしまった人たちのためにも祈りましょう」と言うのを聞いて

(当時、私はまだこのようなお仕事をしていなかったのですが)
そのときに「そうか、そういう祈り方もあるのか」と、とても心に残ったのを覚えています。



もしも特定の場所に限らず、この世界のどこかでそのようなことや似たようなことが本当に起きていたとすると

そこには何らかの「集合意識的な気づき」のようなものが隠れていることもあるかもしれませんし、大きな視点で見ると、加害者・被害者という言葉すら溶けていくものかもしれません。

更に掘り下げると、双方共そこに至る様々な(時に、一見では簡単には割り出せないような)理由があったのではないかと思いますし

また、長い長い魂の歴史の中でいつでも完全に一点の曇りや迷いもなく精錬潔白でそれが故に誰かのあり方を責めることができる人なんているのだろうか、とも思いますが

だからといって、もしも今、似たような苦しみを経験している方がいらっしゃったら、そして、そこから抜け出したいという願いが少しでもあったら、希望を捨て、全てをあきらめてその場に留まり続ける必要もないと思うのです。


世界とどのように関わるかはそれぞれだと思いますが

言葉にならない叫びや祈りがある限り、やはり私は歩みを止めたくはありません。

エクトンに「世界が良くなればと願う」と話す中で「良い」という言葉を用いましたが

それは究極的に

必ずしも正しい・正しくないというものがあるという前提においての善悪ではなくて

どのようにものを捉えたいかや、何を経験したいかの「好み」のようなものに近いように感じます。

「好み」というものは一人一人違うと思いますし

私たちの意識が繋がっているとすると、どこかの時点で誰かに起きたことは自分の一部であったとしても

個としての魂が存在する世界で、それぞれがそれぞれの経験をする中他の魂に何かを押し付けることは自然の本質に反するように感じますが

(ですので私が「良い」と感じる好みがあったとしても、特に自分が直接かかわりのないものに対して、主張するだけに留まらずそれを望まない誰かに強制することもやはり不自然だと思いますが)

人間一人一人の中に自分の現実を創造していくパワーがあるのだという意識が高まったときに

果たして人類は暴力というものを本当に本当に心から望み続けるだろうか、それはもっと変わっていく可能性があるのではないか(もしかするとそれは、逆からも起こりうることかもしれませんが)という思いもありますので

私はこれからも自分の活動をこつこつ続けて

(色々なアプローチがある中、自分の考え方ややり方を唯一の「正しさ」として掲げたいわけではありませんが)

「自分の人生を意識的に自由に生きたい」という望みをもっていらっしゃる方たちのお役に少しでも立てたらと思います。





このセッションを受けた時から、世界情勢はかなり変化しています。
今世界がどんどん混沌としてきているのではないかと、不安に感じる方もいらっしゃると思いますが、「本当に大切なものは何か」に目を向け始めている方たちの数も増えてきていると思います。

また、エクトンは2015年の2月にオーディオブログ2の「愛と暴力」の中で、「なぜある人々はこれほどまでに暴力を必要とするのか?」という話をしています。
とても深い内容だと思いますので、ご興味のある方は、エクトンをチャネリングするリチャードラビンさんのHP(Audio/ Visual 音声/画像のページ)よりお聞きください。 (無料です)