誕生。この世界にいるということ
数年前の話になるけれど
たまに会う友人が水の中にいて、そのお腹が膨れている夢を見た。
そしてその側にはもう一人共通の友人がいて
彼女は滝のようなものに打たれながら
手を合わせてチャントを唱えていた。
それは太古の昔のような
プリミティブな風景を喚起する
とても美しい夢だった。
私はそのとき「もしかした○○ちゃん妊娠をしたかな?」
と思いつつも、敢えて連絡をせずそのままでいて
その三か月後位にお腹が大きくなった彼女と顔を合わせることに。
そして更に数か月後、夢の中に彼女の愛犬が出てきた。
私は以前その犬と少し遊んだことがあったのだけれど
なぜだかその夢の中では勝手に大きな声で「ヘンリー!!」と違う名前で呼びかけていて(笑)
でも目が覚めたときに「どう考えてもあの子は○○ちゃんの愛犬だよね」と思い
連絡を入れてみたら「近々生まれそうなの」とのことで
その後割とすぐに、めったに会わない彼女の赤ちゃんのお顔を拝見に行くことができた。
(ワンちゃんスピリットが教えてくれたのかな。ありがとう!!^^)
そして現在は、あのビジョンのような夢の中でチャントを唱えていた友達まで
この現実の中で立派なお母さんになっている。
私はあの美しく神聖な光景を思い出したりすると
何度でも、人が生まれてくること、そしてこの世界にいることに頷いてしまう。
&実は私は結構養子にも関心があって
もしもこの先の人生において、子供を持つことになるとしても
何が何でも絶対に絶対に絶対に自分と血がつながった子が欲しいとは思っていない。
裏を返して何が何でも絶対に自分の子供を産みたくないというわけでもないのだけれど。^^
育ての親を必要としていても、何らかの事情があってそういった存在が側にいない子供たちがたくさんいるのを耳にしたりすると、そういう選択肢があることも頭を過ぎる。
(もちろんそれには関わるパートナーの意向も関係してくると思うけれど)
…これは20代の頃からで、母親には「自分の子宮もあるのにね」とか、離婚をして子供が(遠くに)いる人とお付き合いをしていた時には「養子の話をしているから、そういう人が(あなたの世界に)やってくるんじゃない」と言われたりもした。…でも、最近は「関心があるかと思って」とそういった関連の新聞の切り抜きをくれたりもする。
もちろん「自分で子どもを産みたい!」という人たちも大勢いるだろうし
そういう約束をしている人もいるかもしれない。
どちらの感覚がより正しいというわけでもないと思う。
ただ、自分の子供であってもなくても
「縁」というものは必ずあると思う。
縁というものがなければ、出会いがないからだ。
そしてそのような縁をどのように育てていくかは、いつでも私たちの肩にかかっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この世界の中で
私たちは
何気なく歩きまわったり
電車に乗ったり
ご飯を食べたりしているけれど
今ここにこうして存在するということは
本当に尊いことだと思う。
小さな赤ちゃんだけでなく
大人になった私たちも
とてもとても大切な存在だ。
そして、人との出逢いとは
たくさんの時や次元を超えて
私たちの魂が交わる瞬間でもある。
輪廻まで含めるならば
それぞれ過ごした時代や場所も経験も違うから
たくさんの考え方や好みがあるのも自然だろう。
そして、出逢った人とは
意気投合することも
すれ違うことも
長い付き合うことになることも
道が分かれていくこともある。
その交流は、本当に一瞬の場合もあるけれど
その存在の奥にある輝きを
見逃さないでいたい。
そこに目を向けられる自分でありたいな、と思う。
たまに会う友人が水の中にいて、そのお腹が膨れている夢を見た。
そしてその側にはもう一人共通の友人がいて
彼女は滝のようなものに打たれながら
手を合わせてチャントを唱えていた。
それは太古の昔のような
プリミティブな風景を喚起する
とても美しい夢だった。
私はそのとき「もしかした○○ちゃん妊娠をしたかな?」
と思いつつも、敢えて連絡をせずそのままでいて
その三か月後位にお腹が大きくなった彼女と顔を合わせることに。
そして更に数か月後、夢の中に彼女の愛犬が出てきた。
私は以前その犬と少し遊んだことがあったのだけれど
なぜだかその夢の中では勝手に大きな声で「ヘンリー!!」と違う名前で呼びかけていて(笑)
でも目が覚めたときに「どう考えてもあの子は○○ちゃんの愛犬だよね」と思い
連絡を入れてみたら「近々生まれそうなの」とのことで
その後割とすぐに、めったに会わない彼女の赤ちゃんのお顔を拝見に行くことができた。
(ワンちゃんスピリットが教えてくれたのかな。ありがとう!!^^)
そして現在は、あのビジョンのような夢の中でチャントを唱えていた友達まで
この現実の中で立派なお母さんになっている。
私はあの美しく神聖な光景を思い出したりすると
何度でも、人が生まれてくること、そしてこの世界にいることに頷いてしまう。
&実は私は結構養子にも関心があって
もしもこの先の人生において、子供を持つことになるとしても
何が何でも絶対に絶対に絶対に自分と血がつながった子が欲しいとは思っていない。
裏を返して何が何でも絶対に自分の子供を産みたくないというわけでもないのだけれど。^^
育ての親を必要としていても、何らかの事情があってそういった存在が側にいない子供たちがたくさんいるのを耳にしたりすると、そういう選択肢があることも頭を過ぎる。
(もちろんそれには関わるパートナーの意向も関係してくると思うけれど)
…これは20代の頃からで、母親には「自分の子宮もあるのにね」とか、離婚をして子供が(遠くに)いる人とお付き合いをしていた時には「養子の話をしているから、そういう人が(あなたの世界に)やってくるんじゃない」と言われたりもした。…でも、最近は「関心があるかと思って」とそういった関連の新聞の切り抜きをくれたりもする。
もちろん「自分で子どもを産みたい!」という人たちも大勢いるだろうし
そういう約束をしている人もいるかもしれない。
どちらの感覚がより正しいというわけでもないと思う。
ただ、自分の子供であってもなくても
「縁」というものは必ずあると思う。
縁というものがなければ、出会いがないからだ。
そしてそのような縁をどのように育てていくかは、いつでも私たちの肩にかかっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この世界の中で
私たちは
何気なく歩きまわったり
電車に乗ったり
ご飯を食べたりしているけれど
今ここにこうして存在するということは
本当に尊いことだと思う。
小さな赤ちゃんだけでなく
大人になった私たちも
とてもとても大切な存在だ。
そして、人との出逢いとは
たくさんの時や次元を超えて
私たちの魂が交わる瞬間でもある。
輪廻まで含めるならば
それぞれ過ごした時代や場所も経験も違うから
たくさんの考え方や好みがあるのも自然だろう。
そして、出逢った人とは
意気投合することも
すれ違うことも
長い付き合うことになることも
道が分かれていくこともある。
その交流は、本当に一瞬の場合もあるけれど
その存在の奥にある輝きを
見逃さないでいたい。
そこに目を向けられる自分でありたいな、と思う。