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どんな状況も必ず変わっていく 

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今回は何だか平和に繋がりそうな写真を出したいと思ったのですが、地震が来たりするととっさに掴んでしまう卓上のマリア像です。(以前このブログで触れたこともありました→過去記事

私は体系立てられた教義のようなものにはあまり惹かれないため何教徒でもないのですが、振り返ると特に子供の頃はキリスト教と縁があったと思います。
割と家の近くにある聖母病院で生まれ、更に近所の教会付属の幼稚園に通っていました。

私の出生時は、生まれる直前までは順調だったのに、勢いあまって(?)羊水を飲んでしまい仮死状態で母体から出てくるという衝撃つきで、母には「キリスト教徒ではないけれど、あの時は、あなたを助けてくださいって、たくさんお祈りしたのよ」と聞かされていました。
昨年41年ぶりに病院を訪れてみたら、中庭で手を広げていたマリア様(だと思って母が病室から祈った像)が、実はアッシジのフランチェスコだった…と判明。(お二人は間違えられても気にしないと思いますが…。^^)

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幼稚園時は登園日に子供の日曜礼拝も含まれていたので、その延長から小学1,2年生くらいまで教会の夏のキャンプ(といっても野外ではなく、高原ホテルだったりするのですが)に参加したりしていたのですが、そこで忘れられない思い出があります。
ある年に泊まったホテルにはとてもとても綺麗な庭があって、思わず駆け出して行ったらゴチンと顔に衝撃が…。
ピカピカに磨き上げられていたガラス窓があることに、小さな私は気がつかなかったのでした…。
そして「しのちゃんがガラスに気がつかないでぶつかって、鼻血を出しちゃった」と言われて(←教会の人たちは人をバカにしたりはしないのですが。^^)手当を受けた後、鼻にティッシュを詰めながら讃美歌を歌うことになってしまい、子供ながら「とほほ。かっこわるい」と思ったのでした…。

振り返ると、アクシデントは全部自爆。^^
でも、どんな時も色々な愛情に包まれていたんだなぁ、とも思います。

そして讃美歌といえば、私はアメージング・グレースという曲の“I once was lost but now am found Was blind, but now I see「私は一度道に迷ったけれど今は見い出され、盲目になったけれど今は見える」”というフレーズが好きです。

大人になった私は「一夜にして不幸になってしまうことって、本当に本当にあるんだ…。」と感じるような経験をしたことがあり、そのときは一瞬にして自分の運命が変わってしまったという絶望や無力さを感じて破れかぶれの精神状態にもなったのですが、やがて、そういった経験をすることさえ許されてしまうほどこの世界の創造性は深いと感じる時がやってきました。

その感覚は、自分自身にとっては特定の宗教に収まりきるものではないのですが、でも、このフレーズを聞くといつもそういったことを思い出します。
そして、人間が救いを求める気持ちや、何か大きなものに包まれたり、それと溶け合うような感覚、そういったものは、言葉にしてしまうと時には差異となり、様々な宗教となって相反するように見えることもあるかもしれませんが、世界中の癒しや真理を求める心の先にある本質は深いところでつながっているのではないかな、と思ったりもします。

コロナウィルスのニュースばかりが流れる今の時期は、色々な経験をされている方がいらっしゃると思うのですが、困難に思えるような時も、必ず変化していくものです。
そして、人類全体も今まで本当に色々な時代を潜り抜けてきました。
今世界は一つの局面を迎えていますが、今回も必ずこのような状況を越えて、更に新しい平和な世界へ行くことができると思っています。
その可能性に一緒に目を向けていきましょう!!


「ヨーロッパの像はあまり身近に感じられない」という方もいらっしゃるかもしれませんので、オマケ。
ウチの玄関にはお地蔵さまもいます。(from巣鴨)
毎年大晦日に新しい同じ服に着替えているのですが「買った時より明らかに顔が笑っているのよね~」とさらりと言う母。^^
これは数年前の写真になりますが、なんとお地蔵さまの真上にだけ真っ先に山茶花が咲いたのでした。
目を向ければ、意外と身近なところでミラクルって起きているものですね~☆

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志野